使命と名前が重なるまで。
このお話をついに!
公開することにしました。
わたしが活動名を変更した理由について。
AYAから香月彩葵、になるまでのお話です。
少しずつですが語らせてください。
4月1日。
新しいスタートの日。
華蘭も年中さんに進級しました!

ついに今年は5歳になります
私も華蘭もスタートの日に合わせて、ブログをアップしたかったので、このタイミングになりました。

でもここからお話することは、エイプリルフールの嘘みたいな話じゃなくて(笑)
私の人生で実際に起きた話です。
(ちなみに書き方が独自路線になってます。)
まず私に何が起こったのか?という背景から綴っていきますね。
活動名変更までには本当にいろんなことが起こりすぎていて、、
壮大なスケールになってきたため、文章でまとめるのが難しかったです。
名前を変えようと思ったのは去年の9月ごろだったんですが、
実際に皆さんに伝えた2026年の1月1日までにも色々な出来事や葛藤がありました。
そのため書き始めてもなかなか一本化できなかったので、章を分けて少しずつ書き綴ろうと思います。
またまた長くなりますが、少しでも興味のある方はお付き合いくださいませ✨
では運命の旅、始まります。
美容師を続けられないかもしれないと思った日。
ある日ふと
「もしかしたら、私はもう美容師を続けられないかもしれない。」
と思った。
この内容があったからこそ、公表するかどうか迷ったのもある。
これは私の人生の中で
ただの一度も考えたことはなかったし、それ以外の道があるとも思っていなかった。
むしろ、美容師という志事は私の人生そのものだった。
でも気づけば、、
腱鞘炎の注射は今回で11回目になっていた。

少しずつ増していく痛み。
でも、動きを止めることはできない、、
そんな葛藤の中で
その頃の私はまだ知らなかった。
この痛みが、私の人生を大きく動かす
“最初の扉”だったことを。
お客様と向き合う時間。
髪に触れながら交わす会話。
鏡の前でふっと表情が変わる瞬間。
美容という志事が好きで、人をキレイにするのが好きでここまで続けてきた。
だけどその頃、私の手にはある問題が起きていた。
2022年1月。
腱鞘炎。CM関節症だった。
サポーターをつけながら始まった。

最初は痛くなるまでの期間がバラバラで
3ヶ月に一度や、半年に一度と
時折り、痛み止めの注射を打つようになっていた。
数回続くうちに
『あまりに続くなら手術になります。』
とも言われた。
劇薬なので何度も使えないとのこと。
弱目の薬に変えてもらったりもした。
でもそうすると短期間で痛くなる。
そしてまた打つ。
年に3回ほど打ち続け、ついにはもう四年が経っていた。
美容師にとっては、職業病とも言われるものかもしれない。
でも私の場合、それは「よくあること」で済ませられるものではなかった。
ラデュールはマンツーマンサロン。
全ての技術は私が1人で行なっている。
アシスタントや他の人に技術を任せたりすることが出来ないのだ。
だから私の手が壊れるということは
営業停止、もしくは廃業にも成りかねないのだ。
そして今回、
ふと頭をよぎった言葉があった。
「もし、、この手が本当に動かなくなったら?」
ハサミを持てなくなったら。
シャンプーができなくなったら。
お客様の髪に触れられなくなったら。
私は、どうなるんだろう、、。
美容師としての私が、終わるかもしれない。
そんな考えが、
初めて胸の奥に静かに落ちてきた。
今思えば、、
あの日の出来事はただの腱鞘炎という出来事で終わる話ではなかったのかもしれない。
もしかしたらあれは、人生が少しだけ方向を変えようとしていた瞬間だったのかもしれないと、今では思う。
ただその時の私は、
そんなことを知る由もなかった。
そしてまだ、
自分の「名前」が大きく動いていくことも知らなかった。
打ち続ける痛み止め注射。
気づけば、腱鞘炎の注射は11回目になっていて
悪化する一方なら、このまま美容師ができなくなるかもしれない。
そのとき初めて思ったこと。
「私はいつまで美容師で居られるんだろう?」
「もし美容師で居られなくなったら私は、これから一体何をする人になるんだろう?」
と。
今まで考えたことのなかった領域。
そこに踏み込まざるを得ないほど、私の手は刻一刻と痛みを深く刻んでいた。
その時に、私は自分の人生のシナリオを紐解くことになる。
「どうして私は腱鞘炎という状態になったんだろう?」

まず、その疑問が頭に浮かぶ。
腱鞘炎になる美容師は、きっと少なくないと思う。
長時間ハサミを持つ仕事だし、
手を酷使するのは当たり前のことだから。
だから最初の頃は、
「美容師なら仕方ないよね」
そうやって自分でも納得していた。
ハサミを持つ右手ではなく、支える側の左手だったのがまだ不幸中の幸いだった。
痛くなったら、注射を打つ。
しばらくすると楽になる。
そしてまた仕事を続ける。
そしてまた痛みが出る、、。
そうやってやがて3ヶ月に一度注射を打つようになった。
そしてある時、2025年の一月を最後に、
ずっと担当してくれていた宜野湾市の整形外科の先生が、他県に転勤になってしまい、、
やむなく別の病院を紹介されることになった。
するとなぜか、その紹介された先の先生も
一度注射を打ってもらった直後に
『実は私も後1ヶ月で転勤になるんですよ、、』
と言われて驚愕。
ええっ?!
そしてまた別の病院へ行くことになる。
2人連続で先生がいなくなることある?!
と思いつつも、また新しくカルテを作り直し、病院のカードを制作し
病院を移るたびに新しく診察しなおして、、
ぐったり、、。
これまで最初の整形外科は、何度も通っていたため、注射ねハイハイ。という感じで
15分も経たずにサッと終わっていたのだけれど
新しい病院は診察前の内容確認、
診察までの待ち時間、注射、
会計のデータ待ち、会計、まで含めると
なんと3時間に及ぶ通院になった。
ほんともう、どういう事?!(~_~;)
やがて注射を打っても痛みが引かなくなり
もう一度受診したときには、もうひとつの症状、ドケルバン病が発覚した、、。

手首と親指の付け根を2ヶ所を痛めていると知り、
私はひたすら絶望感を味わうことになる、、。

整体、鍼灸院に通い、鍼を打ってもらってテーピングして、、
注射以外のケアも試す日々。

その時の私は喪失感と絶望感に苛まれていた。
でもそんなことを繰り返していたある時、ふと違和感が生まれた。
「これって、本当にただの腱鞘炎なのかな?」
私の中では、自分軸で生き始めた瞬間からずっと、ある考え方が存在する。
人生は、自分が描いたシナリオを自分で歩いている、という事。
シナリオ、とは私がサロンで最もお客様に伝えている言葉かもしれない。
自分がそのシナリオの脚本を描き、自分が主演でその役を演じ、その物語のゴールへと向かう。
だから本来シナリオに訪れるできことは
自分の望み、のはずなのだ。
あるいは自分の望むゴールに到達するための、まだその過程である状態。
ただ、その物語の主演をしている間に、自分自身がシナリオを書いたということを忘れてしまうと、未知の不安や恐怖に苛まれる事になるのだ。
だからこそ、私はいつもお客様のそのシナリオの意味を紐解くお手伝いをしている。
意味がわかると、そこから進めるからだ。
だけどそのシナリオの意味とは、いくら自分がゴールを描いていたとしても
最初から全ての意味を理解しているわけじゃない。
ゴールに到達するまでの過程は、自分の想像を超えてくることが多々、ある。
思いがけないバッドエンドに見えることすらある。
だからその過程で挫折を味わうかもしれない。
その時には最悪にも思える。
そして自分ではコントロールできない他者との関わりがあって、その摩擦でもうまくいかない現実に落ち込む。
様々な出来事が起きて、迷ったり、立ち止まったりして、しばらく経ってからようやくゴールが見えてきた時、
「ああ、あれはそういう意味だったのか」
と、振り返ってみたとき全てに気づく。
だから私はこのシナリオを選んだのか、と。
シナリオは完璧なのだ。
いつも、どんな状況においても。
もしそうだとしたら——
私は、どうして
自分を腱鞘炎にしたんだろう?
そんな疑問が、
静かに心の中に生まれた。
美容師を続けられないかもしれない。
私がこれまでの人生をかけて築き上げてきた美容の道。
それがもう私の手から溢れていくのかもしれないという、かつてないほどの恐怖心、、。
でも、そんな不安の裏側で、もう一つの問いが
少しずつ形を持ちはじめていた。
もしかしてこれは、
何かに気づくための出来事なんじゃないか?
その頃の私はまだ、その答えがどこに繋がっていくのか、
まったく分かっていなかった。
ただひとつ言えるのは、この出来事をきっかけに、私の人生は少しずつ
「新しい名前」へと向かって動き始めていたということだった。
変わらざるを得ない時期に来ていた。
痛みが出るたびに病院へ行き、
注射を打つ。
しばらくすると落ち着いて、
また仕事を続ける。
そんな繰り返しだった。
「これだけ続いてるってことは、
もう手術を考えないといけないんだよね。」
使い続けていては完治するはずもなくお医者さんにも幾度となく手術を勧められる。
それだって術後には数週間動かすことができず、志事をすることはできない。
また同じように使えるのかどうか確証も無い。
美容師としての商売道具が壊れてしまえば、、、
今ある世界が180度いきなり変わっていくことは間違い無いのだろう。
美容師という仕事をしていれば、
手を酷使するのは当たり前。
だから、仕方ないことなのかもしれない。
頭ではそう思っていた。
でも、心のどこかでずっと引っかかっている感覚があった。
本当にこれは、ただの腱鞘炎なんだろうか。
もし人生が自分で書いたシナリオを歩いているのだとしたら——
この出来事には、
何か意味があるんじゃないか。
そう思いはじめた時、
手が使えなくなったときの世界、を初めて考えることになる。
もし手が使えなくなったとしたら?
それでも私の今世の使命って、なんだろう??
私の本当の使命とは?
私はそれに向き合ってきただろうか?
腱鞘炎の痛みが続く中で、
そんなことを考えるようになった。
もし美容師じゃなくなったとしたら——
私は、何をするんだろう。
これまでの人生は、
ずっと美容師として生きてきた。
ハサミを持って、お客様の髪に触れて、
その時間を大切に積み重ねてきた。
でももし、
手が思うように使えなくなったら?
その時、私は何ができるんだろう。
そんなことを考えていたある日、
ふと思ったことがあった。
もしかして私は、
「手が使えなくても私にできること」に
向かわなくてはいけないんじゃないだろうか?
もしそうだとしたら——
それはもしかして、私の1番の使命ではないだろうか?
今までの人生の延長ではなく、もう一つの役割。
美容師という仕事とは少し違う形で、手が使えなくても誰かの役に立つこと。
それはきっと、、
私がずっとしていることだけど
マインドを自分軸に戻して楽しく人生を過ごすためのシナリオの謎解きをすること。
それをもっと深掘りすることではないか?
もちろん数年前からそう思ってコンサルの活動を続けてきた。
けれど、これをもっと広く、向き合って深めなくてはいけないのかもしれない。
そう思った。
もちろんこれまでもコンサルの活動はしていたけれど、もしかして美容師としてではなく
マインドのコンサルタントとして
自分軸になるための講座とか、セッションを主にやっていく流れに切り替わっていくんだろうか?と感じた。
これからもし、美容師としてハサミを置く日が来たとしたら、、
その後はマインドを整えるための活動を本格的にしていくんじゃないだろうか?と。
今回の腱鞘炎は、そのために起きているのかもしれない。
物理的に腕が動きにくくなることによって、違う航路を見出す。
そのためなんだろうか?
人間、切羽詰まった時にしか変化はできない物だ。
だったらまだ手が動くうちに、その活動を少しずつでも進めておきたい。
自分ができる可能性を、土台をしっかり広げていきたい。
じゃあもし、その活動や、私のやっている自分軸コンサルのことを
どんなふうに、必要としてくれる人に伝えたら良いんだろう?
どんな言葉で言語化して、それはどんなキャッチコピーなのか?
私の肩書きをつけるとしたら、どんな名前になるんだろう?
と、考え始めた。
まだこれが完全な答えなのかはわからないけれど
私の引き出しの中にあるものを使うとしたら
マインドのコンサルと、もうひとつはメイクレッスンだ。
手を使わなくても誰かの役に立てること。
少しずつコンサルの幅を広げていけば
まだ私にも自分の力を使った役割があるんだと思えるだろうし
本来の自分をみつけるメイクレッスンも、もっとたくさんの人に伝えたい。
髪の毛のほうは常連さんたちを担当していきながら、
まず、私が1番やりたい事であるコンサルを広めていく活動を増やしていけば、もっと自分の使命に向き合えるのかもしれない!
そうして私はそのキャッチコピーと肩書きを考え始めるのだった。
そしてちょうどその頃、ある人との再会。
しばらく会っていなかったソウルメイトでもあり、私のツインレイのサキちゃん。
同じ魂出身の私達。
去年の8月、久しぶりに再会したその時間は、
ただの再会というよりどこか意味のあるタイミングのように感じられた。
あとから思えば、あの再会もまた
私の人生の流れを少しずつ変えていくひとつの出来事だったのかもしれない。
サキちゃんと再会したのは、本当に久しぶりだった。
時間が空いているはずなのに不思議とその距離はまったく感じなかった。

会って話していると、
ただ近況を話しているだけなのになぜか心の奥が動いていくような感覚があった。
サキちゃんにこれからのこと、手のことやキャッチコピーや肩書きなどを相談していく。
私って何をするべき?
キャッチコピーどう思う?
私ってどんな人なんだろう?
とりあえず私がこれまで考えてきたことの全てを話した。
こんな感じで候補も上げてきたんだけど、
と見せてみると
すると返ってきた答えは私の思っていた物と真逆な答えだったのだ。
私は自分の中でコンサルをしてマインドを整えていくことで可能性を広げて人生を楽しく!
生きる気力やパワーがでてもっとイキイキと
行動的になれる!みたいなパワフルなものを想像していた。
でもサキちゃんに言われたのはそれと真逆で
『アヤさんと話すと、思考が整理されてクリアになるんだよ。』
『だからパワー系とか元気とかじゃなくて、癒しだね』
と。
えええええ?!
癒し????
クリア?
えっ?元気系とかパワフルと逆?!
そうなんだーーーーー!!と目から鱗。😳
私は全くそう思っていなかったので本当にびっくりした。
私がたくさん候補を書き綴ったノートの中に答えはなく、新しいキャッチコピーとして
マインドクリアラー
というワードがいいかも、と言われたのだった。
なるほど!
自分の頭では考えつかないフレーズだった。
ということは?私が頭で思ってるよりも
体験してもらった人や、コンサルを受けてもらったことがある方や
ラデュールの常連さんに聞いてみたら
全然違う答えが返ってくるのかも!と思った。
客観的な目線で私を見てもらって、外部からのイメージを書いた方が、より他の人にもしっくりくるフレーズを教えてもらえるかもしれない!
と思い、これからいろんな人にインタビューをしてみようと思ったのだった。
圧倒的な女性性という衝撃。
サキちゃんと再会して、私が一番驚いたのは——
女性としての在り方だった。
彼女は迷いなく言った。
「女に生まれた時点で、勝ち確定だよ!」
と。
さも当たり前で、それ以外無いと言い切る強さ。
それは本当にそれを体現しているからだった。
私は女としての体を持って生まれてきたのに、サキちゃんの言う、「その」感覚になったことは一度もなかったのだ。
その言葉を聞いた時、私は衝撃だった。
だって私は、そんなふうに思ったことも
そう感じたことも
ただの一度もなかったから。
女性であることを誇りに思うとか、
その価値を当然のように感じるとか。
そういう感覚を、私は持ったことがなかった。
『なんでそう言い切れるの?』と私は聞いてみた。
するとその答えは
『女は全てを生み出せるから。』
だから女に敵うものなんかない、と言うのだ。
生み出せる?確かにそうだろうけど
なんで女性だとそれができて、そしてこんなに生命のトップに立てるって言うんだろう?
世界を作るのは女性?!
じゃあ男性の役割は?!
なんで勝ち確定!って言い切れるの?
なんでそれを知ってるの?!
いつそれを自覚したの?!
と、私は疑問だらけだった。
ことさら、これまでの私は、前世の記憶があって、男性脳全開で生きてきた感覚しかなかった。
女性性の欠如と言ってもいいのかもしれない。
およそ多くの女性が抱いてるであろう母性も
サキちゃんが体現している女性性というその感覚は、私にはまるで無いものばかりと言う印象だった。
単に女らしさとか、そう言うことではない。
生み出せる側の、強い自覚なのだ。
私は出産するときにでさえ、その母性のなさに愕然としたことを今でも覚えている。
だって、そのセリフを言われた時に完全にそう思ったことがないとわかるレベルで私は自分の『女性性』を感じたことがなかったからだ。
むしろ前世の記憶では、女性として虐げられてきた記憶しかなく、うまく女を生きられなかった経験しか残っていない。
女性であることを楽しめたことがなかった物語しか知らなかった。
だからこそ私の男性性は、強くならざるを得なかった。
その隙間を埋めるために。
だから、、
私とサキちゃんは一つの魂ではあったけれど圧倒的にその感覚が違いすぎて分離したんだろうなと、私は解釈している。
お互いが違う人生を歩むことで、私はその女性性を取り戻すための理解や体験、そういったミッションがあるのかもしれない。
だからこそわたしは毎回サキちゃんに会うと、その圧倒的な女性性の感覚にいつも打ちのめされていた、、。

敵いません!と頭をさげたくなる。
どうやったらそんなに女性として強く生きていけるんだろう?
どうやったらその感覚にたどり着けるんだろうか。
どうやったら手に入るのか、、。
女って難しい、、と私はサキちゃんに言った。
サキちゃんは笑っていたけれど
それがわからない時点で、すでにわたしはその感覚がないのだと理解はしていた。
男性脳の目線でしか生きてこなかったこと。
だから共感はできずに、ただただその女性性にひれ伏す感覚。
圧倒的に足りない、持ち合わせていない欠如した感覚、、。
おそらくその違いを見る事によって、わたしはそこを目指すのだと気付かされる。
これまでの私は、頑張ること。
耐えること。やり抜くこと。
どちらかというとそんな男性的なエネルギーで
ずっと生きてきた気がする。
自分軸で生きるようになってからは肩肘を張らずにずいぶんと柔らかく生きられるようになった気がしていたけれど
でもサキちゃんの中には、それとはまったく違うもっと自然で、もっとしなやかで圧倒的な女性性があった。
全てを統べる価値観をすでに持っているのだ。
その姿を見た時、私は心の中で思った。
どうやったらそんな感覚を持てるんだろう?
どうやったら女性としての感覚をそこまで研ぎ澄ませることができるんだろう?
私はそれを、今まで欲しいと思ったことすらなかった。
でもその瞬間、はっきり思った。
私もそれが欲しい!
感じてみたい!その感覚を。
分離してからは、私が味わったことのないその世界を。
これから私が生きていく上で、この感覚はきっと必要不可欠なものになる。
なぜか分からないけれど、それだけははっきりと感じていた。

本来一つだった魂が、男性性と女性性に分かれてこの世界に存在している。
もしそうだとしたら——
私はこれまで、女性としての肉体は持っていたけれど
自分の中の、そういった本来の女性性をほとんど使わずに生きてきたのだと思う。
でもあの日、サキちゃんと再会したことで
私の中の何かが静かに動き始めた。
それはまだはっきりとした形ではなかったけれど、確実にこれまでとは違う人生の流れを感じ始めていた。
だって元はサキちゃんと私が一つの魂だったんだからわたしにも本来は備わっているはずなのだ。
その女性性と感覚が。
でもわたしの中にその感覚は驚くほど皆無だった。
だって、サキちゃんの言うそれが
わかる!と私は1ミリも思えなかったからだ。
残念ながら、、。
でも、だからこそ目指すのだ。
いよいよ、わたしの中の女性性を完全に開花させる時期に来たのだ、と。
私の中の足りないピース。
今世の私のミッション。
足りなかった女性性を思い出して、自覚していく旅。
それは言うなれば魂の原点回帰である、と。
サキちゃんと重なっていた魂の感覚がひとつに戻るための心の旅だ。
そうしてサキちゃんと過ごす時間の中で、感じたことがあった。
「あれ…私、もっと違う生き方もできるのかもしれない。」
その感覚は、
言葉にするのは難しいけれど
ずっと男性脳で生きてきた私が
やっと女として生きられるかも?
と、考え始めるきっかけになったのだ。
(体は女性として生まれているけど、頭の中は男性性が占めていたので)
まるで自分の中の何かが、少しずつ目を覚ましていくような感覚だった。
そして、そう気づいてからは、、
自分の中の前世の記憶とも向き合う事になる。
その頃から、
人生の中で不思議なくらい、いくつかの出来事が重なり始めていった。
今思えば、あの頃から私は少しずつ、本来の流れに戻り始めていたのかもしれない。
②へ続く。
あとがき
ちょっとこの本題から逸れるんですが
今日ブログをアップした直後の事なんですけど
サキちゃんとの会話を思い出しつつ、このブログのヘッダーにサキちゃんとの写真を載せてアップした瞬間、本人からLINEが来たんですね。
華蘭の進級祝いだよーってことで、先に私が写真を送っていて、その返事だったんですけど。
私はライカムで華蘭のお祝いランチしてて。
そのあとゲーセンで華蘭を遊ばせてたんですが
その時、東京にいると思ってたサキちゃんから
『沖縄にいるから会いたいなー』
ってLINEが来たんですね。
え?!沖縄にいるの?!
ってなってびっくりしてたら
息子君がポケモンセンターにいる写真が送られてきてて

え?ポケモンセンターってライカムだよね?!
待って待って待って待って!!!!

まさしく今、
ライカムに私もいるんですけどーー!!!!

今いるんですよ、そのゲーセンに!!

えええええっ!!ってなって

その後すぐ落ち合いました!!

ほんと、約束もしてないのに
ブログアップしてLINEしてたら同じ場所にいた奇跡でした!!
エイプリールフールの嘘みたいな本当の奇跡!

いやはや、ツインレイの引き寄せを超えた必然!本当びっくりしました!
話したいこといっぱいあったんだよねー!!
先程ブログに書いてた時の写真は去年の8月のものだったんですけど

その写真を載せたら、今日新しい写真が撮れました!

いやはや本当すごい。
しかもね、、細かいことで言うと、、

つけてたピアスまでめっちゃ似てる!!
2人ともパール!!
もー。こう言うとこ!なんだよなぁ^_^
以前にこうして2人で会ったときは
2人とも真っ赤なカバン持ってきてたし!
(写真撮るの忘れたんですけど)
服もよく被ります。
今回あった時はサキちゃんが全身グリーンの服だったのが、私は前日に全身グリーンでした。
今日はセレモニーだったんでモノトーンの服にしてたんですが、
一応チラッと今日、グリーンの服着ようかなって迷ってたのが、これかぁー!って感じでした。(o^^o)
ほんとにねー、なにかしらあるんですよ。
すごい繋がりが。
同じ魂を共有してると、身に起こる体験も似たようなものが来ることが多いので
いつも話が深まります。
また近日会えるといいな〜!!
ではまた!(*^o^*)

ツインレイでした♪











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